輪島たいむす

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三井地区のかつての風習「ままじゃくりょう」を知っていますか ( ´・д・)ン?

「北國新聞」HPより

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輪島市三井(みい)地区の集落でかつて見られた風習「ままじゃくりょう」について、金沢工大の学生が調査に乗りだした。
集落の手伝いに当たった近親者にご飯をごちそうする仕組みで、昭和50年代頃まで存続していたという。
漢字表記は「飯酌料」と伝わっているものの、発祥年代などは不明。
学生は奥能登の古き良き伝統に光を当てようと、26日に住民への聞き取りを開始した。

金沢工大の菅野圭祐講師の研究室が輪島市の文化財保存活用で調査を進めていた際、地元住民から偶然「ままじゃくりょう」の存在を知らされたことが調査のきっかけとなった。

26日、同研究室で学ぶ環境・建築学部建築デザイン学科4年の板庇(いたひさし)明日加さん(21)が調査を開始。新型コロナウイルス感染症対策のため、現地調査ができず、オンラインで、みい里山百笑の会の西山茂男会長(76)や、百笑の暮らしの山本亮代表(33)から情報を収集した。

国内では、地域住民が田植えなどで助け合う「結(ゆい)」という相互扶助の制度が残る地域がある。
「ままじゃくりょう」は、労働の対価としてご飯を提供する点で違いがある。
始まりや普及した年代、地域など詳細は分かっておらず、西山さんは「親が呼んでいたのをうっすらと覚えている程度」と話す。

三井地区でもかつて「結」が一般的で、独自に「え」と呼ばれて生活に溶け込んでいた。茅(かや)の葺(ふ)き替え作業で「え」が盛んに行われていたものの、茅葺きの家が次々と姿を消したのに合わせ「消滅」。
時同じくして「ままじゃくりょう」も消えたと推測される。

西山さんと山本さんは「先人の知恵が詰まった仕組みは今を逃すと記憶からも消えてしまう」とそろって危機感を抱く。
「復活」できないか思案を巡らせており、「人間関係が希薄な社会だからこそ、時代に合う形で伝えていきたい」と話した。

地元では、ままじゃくりょうに関する情報を求めている。
連絡は茅葺庵三井の里=0768(26)1181=まで。