輪島たいむす

石川県輪島市の情報をゆる~く紹介していきます

今年1年の収穫に感謝する伝統儀式「あえのこと」が行われました

「NHK NEWS WEB(石川 NEWS WEB)」HPより(リンク先に動画あり)

www3.nhk.or.jp

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田の神さまを家に招いてもてなし、ことし1年の収穫に感謝する能登地方北部の伝統の儀式「あえのこと」が、輪島市で行われました。

「あえのこと」は、能登地方北部の農家に受け継がれている伝統の儀式で、「あえ」「もてなし」を、「こと」「祭り」を意味するとされ、ユネスコの無形文化遺産に登録されています。
12月5日は神さまを家に迎え入れる日で、輪島市白米町では、金沢市在住の公務員、川口喜仙さんが、米作りを行う実家で儀式に臨みました。
家の隣の棚田に出向いた紋付きはかま姿の川口さんは、土にくわを入れて夫婦の田の神さまを木の枝に宿し、連れ帰りました。
そして、お茶を出したり、風呂に入ってもらったりしたあと、尾頭付きのタイや野菜の煮しめなど11品のごちそうを並べた座敷に案内しました。
川口さんは、神さまに対して「ことしもたくさん収穫でき、ありがとうございました」と1年の実りに対する感謝を伝えました。
来年2月9日には、神さまを再び田んぼに送り届ける儀式が行われるということです。
儀式のあと川口さんは「ことしも無事、神さまを迎えることができてよかったです。米作りを行っている間は、この伝統行事をしっかりと続けていこうと思っています」と話していました。

「北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ」HPより

www.hokurikushinkansen-navi.jp

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国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産である奥能登の農耕儀礼「あえのこと」は5日、各地で営まれた。
伝承する地域の中には、新型コロナ感染が落ち着いていることから、見学者の制限を緩和するところもみられ、古くからの作法を一目見ようと観光客らが戻ってきた。

〈輪島〉
あえのことは、農家が12月に田の神様を自宅に招き、翌年2月に送り出す。

輪島市三井町小泉の茅葺庵档(かやぶきあんあて)の館では、地元公民館「田の神様まつり」が営まれた。

小山栄館長(71)が蓑(みの)を着た付き人と田へ向かい、目が見えないと伝わる夫婦神を招き入れた。小山館長は「この先少し段差がありますのでお気を付けください」と、丁寧に案内し、里山で採れた野菜や海の幸でもてなした。

昨年はコロナ禍で同まつり実行委員ら関係者のみだったが、今年は実行委員や関西大の学生、観光客ら約40人が見守った。

同市白米(しろよね)町では、県職員の川口喜仙(よしのり)さん(57)が紋付きはかま姿で自宅近くの棚田へ向かった。一年の実りに感謝し、田に塩や生米、酒をまいて清めた後にくわを入れ、夫婦神を自宅に迎え入れた。
タイやおはぎ、干し柿など11品のごちそうでもてなした。

昨年に続き、コロナ対策で見学者は受け入れず、家族のみで行った。
座敷には小豆飯や豆腐のすまし汁などの料理を並べ、目が見えないと伝わる夫婦の神様を席まで案内した。

あえのこと

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www.youtube.com

www.hot-ishikawa.jp

奥能登地域(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の各家ごとに伝承されてきた農耕儀礼で、「あえ」はもてなし、「こと」は儀礼を意味するといわれ、稲の生育と豊作を約束してくれる「田の神」が、あたかもそこに実在するかのように行われる。
全国的に「田の神様」と呼ばれる神事が伝承されているが、奥能登のものは、古式と厳格さをとどめており、きわめて貴重なものである。
一般的に、アエは神を供応する「饗」、コトはハレの行事を意味する「事」で、「饗の事」と考えられている。
収穫後の12月5日頃、主人が田まで田の神を迎えに行き、鍬を3回打ち込み、「田を守ってくださいましてありがとうございました。」などと、ねぎらいの言葉を述べ家に案内する。
風呂に入れ、湯加減などを聞きながら田の神の背中を流すような所作をする。
風呂が済むと、安置してある籾俵に座らせ、御膳を出す。
主人は品目(新米で作った甘酒、二股大根など)を一つ一つ説明しながら田の神に食べさせ、目には見えない田の神を祀り、収穫に感謝する。
ころあいを見計らい、おさがりを家族でいただく。
田の神は、この籾俵、あるいは神棚で年を越すといわれ、耕作前の2月9日頃、再び風呂に入れ、御膳を供したりして、主人は田の神を田まで送っていき、豊作を願う言葉を述べる。
所作のいちいちに言葉掛けを行うのは、田の神は夫婦神で、稲穂で目を突いたとか、長い間暗い土の中で働いておられたために目が不自由であるとされるためである。
2009年(平成21年)「奥能登のあえのこと」として、ユネスコ無形文化遺産に登録。