輪島たいむす

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輪島市の小学校の生徒の皆さんが能と狂言を鑑賞しました

「中日新聞」HPより

www.chunichi.co.jp

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金沢能楽会主催の能楽公演「県民移動能」が輪島市文化会館(河井町)であり、市内の小学校高学年165人が能と狂言を鑑賞した。
狂言「柿山伏(かきやまぶし)」では、山伏が修行の帰途で道端の柿の木に登って無断で実を食べ、それを見つけた畑の持ち主とのこっけいなやりとりが、児童の笑いを誘った。
能は代表的な演目として、僧の玄翁(げんのう)がキツネの化け物「玉藻の前」を供養する筋書きの「殺生石(せっしょうせき)」を鑑賞した。
代表の児童3人は能面を着けて舞台に上がり、能独特のすり足に挑戦した。
能楽会の渡辺茂人さんが「少し膝を曲げて背中を伸ばし、足を着けたまま左から前に出す」と分かりやすく説明。
体験した児童は「視界が狭くて難しい」「いろんなそぶりをするのは楽しい」と感想を話した。

金沢能楽会

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kanazawanohgakukai.jp

金沢能楽会は佐野吉之助師を中心に明治34(1901)年に設立されました。
江戸時代、五代藩主前田綱紀が宝生流贔屓の五代将軍綱吉にならって宝生流に改流してから、加賀藩主は代々宝生流を愛好し、手厚く保護したため、加賀宝生という名が生まれるほど宝生流の盛んな土地となりました。
加賀藩では領民にも謡を奨励し、多くの領民が謡を習い、その裾野は大きく広がりました。
これにより金沢は「空から謡が降ってくる」とも言われました。
明治維新による幕藩体制の崩壊によって加賀藩の保護を失ってからも、金沢能楽会が加賀宝生を受け継ぎ、100年以上の長きにわたって継承保存と普及振興に努めております。