輪島たいむす

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明治時代の大火を教訓に、「住吉神社」で鎮火祭が営まれました

「中日新聞」HPより

www.chunichi.co.jp

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明治時代の大火を教訓に、防火の大切さを伝える鎮火祭が十四日、輪島市鳳至町稲荷町、住吉神社のお仮屋で営まれた。

住民ら三十人ほどが参列した。
浅井則家宮司(66)はお仮屋の外で網目の火皿に細かく切った木を入れて着火。
火が大きくなる前にセリの束と土、水をかけて消した。
セリはこの時期の川辺に生えており、神社で使うはかまなどを染めるのに使われたことから、神事に用いられるようになったとされる。

稲荷町では一八六八(明治元)年二月十四日に八十戸を焼失する火事があり、毎年この日に鎮火祭を開いている。
浅井宮司は火の神様をまつる全国の神社について説明し、「子どもさんやお孫さんに、昔火事があったことや、火の大切さを教えてほしい」と話した。

住吉神社

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武門武将の崇敬又深く、社殿の造替、金品の寄進屡々なり、又前田利家天正10年能登巡国の際、本社に参拝し社殿修復料50俵の地を寄せ、神主浅井則信に田地を与えたるを始めて前田家累代篤く本社を崇敬された。
又、本社は古来大宮と俗称せられ、今に例祭を大宮祭と称し、其の祭礼市を大宮市と唱へ、鳳至町1000戸の産土神と仰がれるばかりでなく、一国の大宮として衆庶の尊崇を集めてきたのである。
始め当社は大屋庄(大屋村一帯)御霊地山に鎮座され、神宮寺を鳳至院と称し壮大を極め神部十二員の民邸等の旧跡今に残し、釈迦堂、仁王堂等の地名往昔の盛況を証するが、近古水難、兵乱の為に現在地に移し奉れるものであります。
現社殿は文化10年所口(七尾)の住人芝田新助矩一により建造されたもので、特に本殿はその構造の堅実なる手法向拝にほどこされた虹染、木鼻の彫刻、胴貫の花鳥、透彫にいたっては絢爛をほこる徳川時代の建造物としての面影を遺憾なく発揮し、社寺建築木割法に則って築造せられた神社建築の当地方での代表的建造物であります。現在、市重要文化財に指定されています。