「HABニュース」HPより
群馬県出身の歌人・土屋文明が石川県輪島市の白米千枚田の風景を詠んだ歌の歌碑が建てられ、除幕式が行われました。
輪島市は文学を通して白米千枚田の魅力を後世に語り継いでいこうと歌碑を建てました。
歌碑には、「一椀にも足らぬばかりの田を並べ、継ぎて来にける国を思ふも」という歌が刻まれています。
大正から昭和にかけての歌壇を代表する歌人、土屋文明が白米千枚田を訪れた際に、小さな田を耕し続けてきた能登の人々の心を思って詠んだ歌です。輪島市では歌碑をきっかけに、短歌や俳句のファンを始めとした観光客の増加を図っていきたいということです。
「今日の白米千枚田@愛耕会」Twitterより
023.03.27
— 今日の白米千枚田@愛耕会 (@noto_senmaida) 2023年3月28日
土屋文明さんの短歌が刻まれた歌碑の除幕式が千枚田で行われました。千枚田を題材にした相撲甚句の披露もありました。
一椀(わん)にも 足らぬばかりの田を並べ 継ぎて来にける 国を思ふも#能登 #輪島 #白米千枚田 #世界農業遺産 #土屋文明 pic.twitter.com/gwAKgTkLMM
白米千枚田
白米千枚田(しろよねせんまいだ)は石川県輪島市白米町にある棚田です。
日本海に面して、小さな田が重なり海岸まで続く絶景は、日本の棚田百選、国指定文化財名勝に指定され、奥能登を代表する観光スポットとして親しまれています。
水田一面あたりの面積は約18平方メートルと狭小で約4ヘクタールの範囲に1004枚の典型的な棚田風景が展開し、古くより「田植えしたのが九百九十九枚あとの一枚蓑の下」「越中富山は田どころなれど能登は一枚千枚田」等の古謡が唄い継がれています。
土屋文明
1890年(明治23年)生 1990年(平成2年)没
明治23年、群馬県西群馬郡上郊村(現・高崎市)保渡田の農家に生まれる。
高崎中学校在学中から文学を志し、蛇床子の筆名で俳句や短歌を雑誌『アカネ』『ホトトギス』に投稿する。卒業後、伊藤左千夫を頼って上京し、短歌結社「アララギ」に参加する。
その後、第一高等学校を経て東京帝国大学に進む。
学友には、山本有三、芥川龍之介、久米正雄らがおり、彼らとともに第三次『新思潮』の同人として小説、戯曲を書いた。大正6年、『アララギ』の選者となる。
大正7年、島木赤彦の紹介により諏訪高等女学校教頭として赴任。
諏訪高等女学校、松本高等女学校の校長を歴任する。
帰京後、大正14年に第一歌集『ふゆくさ』を出版。昭和5年、斎藤茂吉から編集発行人を引き継ぎ「アララギ」の指導者的存在となる。
また、『万葉集』の研究にも打ち込み、『万葉集私注』等を執筆した。昭和28年に日本芸術院会員、38年に宮中歌会始召人となり、61年には文化勲章を受章。
平成2年、肺炎及び心不全により100歳で死去。
群馬県名誉県民、群馬町名誉町民、東京都名誉都民。