輪島たいむす

石川県輪島市の情報をゆる~く紹介していきます

【能登半島地震】2024年1月3日【記録と記憶】

2024年1月1日、まさかのお正月早々、能登半島を襲った地震。
あの恐怖と混乱を、少しでも忘れないように、このブログ「輪島たいむす」に記録を残していくことにしました。

この記録は、地震発生時から私のスマホに書き留めていたメモ、当時の状況を捉えた写真、そしてXに投稿したつぶやきを元に作成しています。
地震直後の動揺した気持ち、そして徐々に現実を突きつけられた日々。
あの時の記憶が、少しでも色褪せる前に、ここに書き記しておきたいと思っています。

【免責事項】

この記録には、地震発生時の緊迫した状況や、その後の混乱を赤裸々に描いた部分も含まれています。
被災された方の中には、当時のことを思い出し辛い方もいらっしゃるかもしれません。
もし、読むことで不快な思いをされたり、辛い気持ちになったりされた場合は、無理に読み進める必要はありません。

【記録の目的】

この記録は、私個人の体験に基づいたものです。
あくまで一人の人間としての視点であり、全ての被災者の状況を表すものではありません。
しかし、この記録が、少しでも多くの方の役に立てれば幸いです。

【今後の更新について】

この記録は、地震発生直後の混乱から、1ヶ月間の出来事を数回に分けて更新していく予定です。
激しい揺れに襲われた瞬間から、避難生活、そして少しずつ日常を取り戻していく様子まで、様々な出来事を克明に綴っていきます。

【記録と記憶】2024年1月3日

今日もスマホを充電するために車へ向かう。向かいの倒壊した家では、住人が荷物を運び出している。 そんな光景を見ながら今後のことを考えていると、、、
ドン!
今までの余震とは異なる、強い揺れ。
あの悪夢が蘇る。
幸い、揺れはすぐに収まったが、再び来るかもしれない恐怖に駆られ、家の中へ避難する。
今日は充電を諦め、家の片付けに専念することに。

まずは冷蔵庫周りから手をつける。
悪臭の原因になりそうな食品を処分しなければ。
割れた皿、床にこぼれた液体、散乱する卵、 腐敗する前に手を打つ。
倒れた冷蔵庫を戻そうとするが、ガラスや陶器の破片が倒れたスペースに入り込み、冷蔵庫を戻すことができない。 今はできる範囲で整理を進めるしかない。 嫁と二人で力を合わせて片付けを続ける。

そんな中、大阪から取引先の方が支援物資を届けてくれた。 水、食料、どれも今必要なものばかり。 遠方からの支援に頭が下がる。
食料と水の確保ができるだけで、気持ちが少し落ち着く。

友人からのLINEで、市内の道路状況を知る。
各所で土砂崩れや倒木が発生し、通行できない箇所が多い。 パンクして放置された車も原因となって渋滞もひどくなっている。


さらに、午前中の大きな余震で新たな土砂崩れが発生。
熊野トンネル付近も通行止めになったらしい。

その中で、震災の混乱に乗じた車上荒らしや空き巣の情報が入ってくる。
許せない。
だが、同時に自分の家や車も狙われる可能性があると気づく。
急いで貴重品を見つかりにくい場所へ移動する。

妻から、ワイモバイルのスマホが今月は無制限で使えるとの情報。
助かる!
この震災で、一番頼りになるのはやはりスマホ。
不安定ながらも電波は繋がる。
今後もワイモバイルを使い続けようと心に決める。

市内の同業者から電話。
「道路の復旧作業で材料が足りない」
話を聞くと自分の会社の社長へも直接連絡を試みたが、つながらなかった。 そのため、自分の携帯に直接連絡が入り対応することになった。
状況が状況なので処分覚悟で事後清算と言う形で材料を提供することを決断。 他の業者からも同じ相談を受け、同様の対応をする。
今は承認待ちをしている場合ではない。
一日でも早い復旧が最優先だ。
しかし、自分は何もできていないのではないか、 周りの復旧作業を見ていると焦りと苛立ちが募る。

日が落ちる。
日常では考えられない早い時間に夕食をとり、寝る。
夜中、サイレンの音と余震の揺れを感じながら、、、
ガサッ!
人の気配。
空き巣か!?
LINEで空き巣の情報を見ていたので、一気に恐怖がこみ上げる。
「寝てた?」
身構えた先に現れたのは、金沢に住んでいる弟だった。
LINEで連絡は取っていたが、心配で会社の人と共に来たらしい。 金沢から普段なら3時間もあれば余裕で着く距離なのに道路状況の悪化で9時間がかかったという。
持ってきてくれたのは、水、食料、そしてガソリン。
個人的には車でスマホを充電しているので、ガゾリンはうれしかった。
何よりも顔を見て話せたことが、一番の支えになる。
弟は自分たちの無事の確認と支援物資を届けて、少し休んだ後に金沢へ。
弟を見送った後、再び眠りにつく。
夜は、静かに更けていく。